中村竹夫・道子さん

vol.09 中村竹夫・道子さん主役はいつも人

深く、ゆっくりと、呼吸したくなる土地。春の陽気と、うっすら感じる潮の存在が、ほろほろとわたしを和ませる。これが、初めて降り立った真鶴の印象。

この地に迎えてくれたのは、真鶴を拠点に移動本屋を営む中村竹夫さん・道子さんご夫婦。今年新たに店舗を構えるおふたり。お店となる建物はこの日まさに、改装の真っ最中でした。そもそも移動本屋として活動をはじめたのにはどんなきっかけがあったのでしょう。

道草書店 改装中

道子さん「移動本屋はまったくの成り行きなんです」

ー東京に家族三人で暮らしていた中村さん一家。竹夫さんは整体師として、道子さんは会社員として働く日々の中、子どもを自然の中で育てたいという気持ちが強まっていき、移住を検討しはじめます。

道子さん「移住先をいろいろ探しまわったんですがなかなか見つからなくて。夫が仕事の関係で小田原や湯河原に行くことが多く、その流れで真鶴にいってみよう、と。たまたまいった真鶴をふたりとも気に入ってしまって、3ヶ月後には移住してました」

真鶴の海

竹夫さん「もともと決断力があるわけではないのですが、この時はなぜかすぐに動きました。気づいたらもう真鶴に移り住んでいた、というくらいのスピード感で」

こうして2020年1月に真鶴へ。そのあとまもなくして新型コロナウィルスによる自粛期間がはじまります。

道子さん「移住時は夫婦ふたりで生業を作りたい、と思ってました。でも何をするかは全く決めてなくて、実はノープラン。ふたりとも仕事を辞めて、裸一貫みたいな感じだったんです」

ーノープランとは驚き!この時点で決めていたことは、夫婦ふたりの生業を作る、ということだけ。待っていたのは移り住んだ真鶴での自粛期間、孤独を感じる日々。ようやく自粛期間が明け、町の人と繋がれるようになると、意外な町の景色が見えてきました。

移動本屋 道草書店

道子さん「町に本屋さんが一軒もなかったんです。三年前に最後の本屋が廃業してしまって、町のひとびとが困っていることを知りました。だったらわたしたちが本屋をやろう、と」

竹夫さん「特にお年寄りの方々が困っていたんですよね。とはいえふたりとも本や出版の仕事はしたことがない。いきなり店舗をもつのではなく、小さくはじめてみようということで『移動本屋』に。町の方の声から生まれた感じです」

ー生業の種を見つけたふたり。右も左もわからないながらも、積極的に全国の本屋さんに足を運び、店作り、配置、選書などを研究。2020年9月、移動本屋をスタート。店の名前は『道草書店』に。

道草書店 選書

道子さん「道草書店の名前の由来は、ひとつは夏目漱石の小説『道草』から。もうひとつは、移動本屋なので何かの道草がてらにふらっと寄ってもらえるような場所にしたい、と思って道草書店という名前にしました」

ーはじめてみると、思った以上に地域のひとびとが喜んでくれた。はじめての出店は真鶴のパン屋さんの横。お買い物のついでにふらっと立ち寄ってくれるのが嬉しかった。そこから地域とのつながりを肌で感じられるように。

道子さん「わたしたちの本屋のコンセプトは『主役は人である』こと。主役はいつも人だと思っています。人が本を読むことで本の価値が生まれる。新しくできる店舗ではいろんな方があつまって対話が生まれるように、あえて人が主役の場所を作りたいと思っています」

道草書店 DIY

どこか懐かしさのある一軒家。ここにはまもなく、書店、カフェ、こども図書館が併設された常設の『道草書店』が開かれる予定。今後は移動書店と常設書店を、両軸で展開していくそう。本を囲むこどもたちのにぎやかな声が今にも聞こえてきそうです。

道草書店 改装中

ー世の中の風潮的にも行動が制限されるなか、ふたりはどのように地域との交流をかなえていったのでしょうか。

道子さん「とにかく町の行事やお祭りに積極的に参加しました。同じ釜の飯を食う、みたいなことが仲間になる契りとなるようなところがあって。東京出身なのでその感覚がなかったんですが、一緒に何かを作る、という機会がとても大きなものでした」

真鶴

ー密度のある距離感。人口が七千人を切っている真鶴では、町に暮らすということは顔が見える存在になるということなのだという。

道子さん「あとは日々いろんな人が集う場所に行ってつながりを作ったりしました。真鶴の中には移住者と地元の人が集う場所がいくつかあるんです。例えば酒屋さんや珈琲屋さん。地元の人も移住者も集まれる場所です」

竹夫さん「真鶴は土着なイメージがあるかもしれないけど、実は地元の人と移住者の境目が曖昧なんです。受け入れてもらいやすい真鶴の風土と雰囲気にとても助けられました」

ーふたりがさらに真鶴に魅了されたのは『美の基準』という一冊の本との出会いでした。

道子さん「真鶴の歴史を、住み始めてからいろんな人に教わったんです。この町に来た時からどこか懐かしい風景だなぁ、と印象として感じてはいたのですが、この『美の基準』という本には真鶴のまちづくりの考え方、価値観が言語化されていてとても腑に落ちました」

ー真鶴と出逢ってすぐに移住を決めたおふたりの美意識が、まさに言語化されたような『美の基準』。特に腑に落ちたのはどのような部分だったのでしょうか。

道子さん「ちいさなひとだまり、というキーワードが出てくるんです。いわゆる世間話みたいな、人と人が立ってお話する立ち話でさえ居心地がいい。そんなひとだまりがちいさくぽつぽつとある、それが真鶴らしさなんだと。決しておおきなコミュニティではないけれど、小さなつながりからはじまる可能性がある。そんなふうに感じました」

竹夫さん「『美の基準』が好きで真鶴に移住したという人もいるほどなんです。真鶴は住めば住むほど、どんどん良さが味わい深く感じられる。親密すぎず離れすぎない適度な距離感が心地いい。あとは美しい自然。観光地化されてはいないけれど、何気ない風景が日常的に感動できるんです」

移動本屋 道草書店

ー生活を豊かにしてくれている風景がそこここにあり、圧倒的に日常が濃い。適度な人の繋がりによっておふたりも幸福感があがったという。

竹夫さん「まだまだ真鶴について知らないことがたくさんあります。引っ越してきて2年ですけど、これからまだ知らない真鶴を知っていくのが楽しみなんです」

一度立ちどまり、自らの在り方を見つめ直したおふたり。未知なる土地で、時に道草をしながら、等身大の在り方をこれからゆっくりと紡ぎ続けるのだろう。

photo & text :akari komatsu

中村竹夫

東京荻窪生まれ、横浜育ち。人材会社で開拓営業、Jリーグ試合運営、整体業を経て、2020年6月エシカル真鶴創業。同年9月夫婦で移動本屋「道草書店」を始める。

中村道子

東京生まれ、文京区本郷育ち。イギリスの大学院で国際開発学を専攻、オーガニックコットンメーカー、障害者就労支援員を経て2020年1月東京千駄木から家族で真鶴へ移住。道草書店では主に選書を担当。

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