神奈川県横須賀市衣笠。人と車と列車が忙しく行き交う駅前広場。
初めて降り立ったはずなのに、この街の香りも音もどこか懐かしい。
駅前から歩くこと1分、脇道に入るとそこには怪しげに掲げられた「こども 若者 図書館」という看板。
矢印に従って進むと、ありました。衣笠駅徒歩1分図書館。通称、キヌイチ。
開け放たれた扉の前で、「こんにちは」と声をかけると、「はーい」と明るい声。その声の主がキヌイチを運営する北川幸子さん。
鼻の奥に届く独特な古本の香り。レトロな造りの窓辺から緑と衣笠駅が抜けて見える。まるでタイムスリップしたようなこの空間は一体どういう場所?
北川:「キヌイチは誰でも来ていい場所。基本はこどもと若者のための図書館だけど、大人に関していえば、こどもと若者のために何かしたいと思ってる人に来てもらう感じ。」
こどもと若者のための図書館をやりたいという思いに共感してくれた方とのご縁に導かれ、自然に流れ着いたのが衣笠駅前にこのある古いアパート。所々少しずつ手を加えることで現在の形となり、今や所狭しと本が並んでいます。
北川:「本もね、初めどういう風に集まるかわからなかったんだけど、近所の人が持ってきてくれたものもあれば、わざわざ新しいのを買って持ってきてくれた人もいて。みんな勝手に持ってきてくれるんですよ、外の怪しい看板を見て。自分が昔好きだった本とか、古くても大事だから捨てられない本とか、こどもたちに読んでもらいたい本とか。特に募集しなくても自然とそういうのが集まってきた感じ。いらないものはいらないって言っちゃうんだけどね(笑)。」
ーキヌイチには“今も昔も大切にされてきた言葉たち”が集まっている。現在はおよそ5千冊の本が並び、こども向けの絵本から漫画、専門書までその展開領域は幅広い。とはいえ、見たところジャンルや作家ごとに整頓している、という訳でもなさそう。
北川:「こどもって自分の好きな物を見つけるのがすごい早い。こどもと若者のためって言ってる中で、ここにはいろんな本があって、いろんな情報と出会える。あえてこちらがジャンルで分けるよりも、バラバラな方が偶然の出会いがあるかな、と。」
作為的なデザインを施すのではなく無為であることを大切にしているキヌイチ。着実に人々を引き寄せているのは、無為がもたらした結果なのかもしれない。「場」のあり方も色々ある中で、なぜ北川さんは「図書館」という形を選んだのでしょう。
北川:「元々は虐待を受けた児童のケアに関心があって。とはいえ私は専門家じゃない。直接的に何かできるわけでもない中、色々な人にヒアリングをしてみたら、被虐待児に携わる人たちと携わっていない人たちとの情報格差がすごいなと思ったんです。この格差をなんとかすれば、携わる人たちの手から漏れてしまうこどもに向けて私でも何かできるんじゃないかと。」
一般の人が来やすく、自然かつ偶然的にいろんな情報に触れてもらえる場所。それが、図書館。お金がなくても無料で入れることができ、世界共通で“本を読む場所”という認識があるから新たなルールを作る必要もない、という。
北川:「私はパソコンひとつあればどこでも仕事ができるから、ここの鍵を開けてただ無料開放してるだけなんです。みんな勝手に来て、みんな勝手に過ごして帰る。利用方法も、先に利用してる人が新しい人に教えたりして。あそこにあるお花も誰かが勝手に持ってきて管理してくれてるんですよ。」
看板の通り、“こどもと若者の図書館”であるということ以外、何も提供しない。その潔さが、却って利用者の主体性や自主性を引き出しているようです。どう居ても、どう関わっても、関わらなくてもいい。
その居心地の良さに私も思わずごろりと横になり、深く、呼吸してみた。
独特のカビ臭さ。あぁ、最期はこんな場所で、大好きな言葉だけを抱いて眠りたい。
北川:「いいね、終の場所。あ、私さ、棺桶作ったの!」
えぇ?!!棺桶?!
北川:「棺桶を作りたいと思いたってね、せっかく作るんだったら気持ちが伝わるものとして、手仕事のものがいいなと。作り手さんを探したら福岡の大川っていうい草の名産地でい草を育てるところから全部やってるおじいちゃんと出会うことができた。そしたら今度はそのおじいちゃんが若い棺屋さんを紹介してくれて、じゃぁ3人でやりましょう!って。それで作ったのが“みどりのオヒツギ”。」
い草で作られた“みどりのオヒツギ”は想像以上のハイクオリティ!北川さんは自らの関心に対していつだって本気なんだ。
実は北川さん、本業は株式会社doode(ドゥードゥ)の代表取締役。いわゆる “社会にとって良い活動” に特化したクリエイティブを提供しており、ウェブサイトやパンフレットのディレクションや、プロジェクトそのもののディレクションも手掛けています。
北川:「地域づくり、医療、こども。手掛けるジャンルは様々だけど、NPOや企業のCSR(社会貢献事業)に特化してお手伝いさせてもらってます。自分の活動の軸としてはデレクションがベース。企画作ってコンセプト作って、人集めて、それぞれのいいところを寄せ集めて、創る。誰とどこでそれをやるのかがそれぞれ違ってるだけ。」
ー本業も、キヌイチの場作りも、棺桶も、自らに問いをたて、それに対して課題解決していく手法は共通している。それにしても、北川さんの目の付け所が面白い。
北川:「確かにトピックはちょっと突飛かも。とはいえどんなに重いテーマでも結局は自分の出来る事でしか関われないし、自分の思うアイディアを創っていくってことに変わりない。どこに自分の関心が向くかをより丁寧に考えていったらこうなってた、ってだけなのかな。」
ー常に社会課題や社会的弱者に関心があるように見えるけど、本人的にはどんな感覚なのだろうか。
北川:「環境問題に関心ありますかって聞かれると、わからない。障がい者や高齢者など社会的弱者といわれる人たちに関心ありますかって聞かれても、わからない。そもそも、こどもにも関心は無かったんだけどね。じゃあなんでやってるんですか、って聞かれたら、なんでだろう、って感覚。」
ーわからないものはわからない。北川さんの言葉に、“立てられた問いにはきちんと答えなければならない”という呪縛の存在を私の中に知り、ハッとする。私はいつから“わかりません”と言えなくなっていたのだろう。
北川:「“理由がわからないからやらない” のか、というとそれはない。説明できそうな理由はないけれどやらない理由もない。だからやってます。」
ーどうあがいても、くっついて離れない興味や関心。理由はともあれ、とりあえず自らの中に在るそれらを否定しない。自分に対しても他人に対しても解答をすぐに求めない構えが、多くの人に安心感を与えるのかもしれません。
北川:「自分の度量を知り、無理せず、できないことはしない。でも、関わる人には可能な限りの真摯な態度を忘れないようにしてます。」
ー自分の度量を知るには、まず、楽しいと思える範疇を知ることから。楽しいと思えるところまでがある程度の度量であり、そのラインを超えてでもやりたいと思えたらそれは “チャレンジの領域” だと北川さんは言います。
北川:「自分の中の感情に気づく、ということが大事だと思うんです。キヌイチにくるこどもたちには、ここにくることで自分がどんな感情に在るかということに気づいてもらいたい。自分のことがわかると人のこともわかるし、自分のことがわからなくても、人の動きから振り返って自分のことがわかるようになる。人としての幅が広まったり深まったりする柔軟な活動ができるようになるってことに繋がればいいなと思いながら、ただ、ここに座っています。」
時代。情報の格差。
既知と未知。それらの裂け目にただ佇み、流れ着いた人々をただ受け止めている。偶然の言葉を手渡されたこどもと若者たちが、自らの度量と出会い、自らの心と共に豊かな人生を歩むことを祈ってやみません。
photo & text :akari komatsu